こうすけの笑顔につつまれて
今日も元気で顔晴る
母の日記

皐月


   初めてこうすけが笑った日
朝陽が美しく、希望に満ちていた
笑顔が幸せを運んでくることを
どんなつらい時も
勇気を与えてくれることを
思い出すことができたよ

自分探しの旅の果てに
  私は私でいいって気づいたら
私は自由だったんだってわかった
心を縛っていた鎖を解き放つことができた
そして私は光につつまれた!






さよならは言わないよ
平成22年5月12日

 フレッシュな新人さんと一緒に仕事をしていると、新卒で就職していた頃のことを思い出した。都合の悪いことは横に置き、思い出すのは、楽しかった思い出ばかり。ひそかに希望していた重心施設の指導員になり、7年間笑顔を絶やさず仕事をさせてもらったことだった。7年間いっしょにいた重心施設の利用者は私の人生の中でかけがえのない存在となって、今でも心の支えになっている。数日前より、当時の利用者のY子さんのことを思い出していた。彼女は会話はできなかったけど、私の顔を見るといつも全身で声援を送ってくれた。それは100人の味方を得たが如く、勇気をあたえてくれ、7年の指導員生活を支えてくれた。
 今日の夕方以前に勤めていた職場の同期からY子さんが病気で亡くなったという知らせが届いた。彼女のことを思い出していたのは虫の知らせだったのか。お互い生きていれば、また会えると思っていたけど。もう、彼女の笑顔をみることはできないんだと思った。仕事が終わるまで、必死に涙をこらえた。彼女との思い出が頭の中にめぐった。思い出すだけでも、楽しいかった日々。そして、不安と迷いでおびえていた時、彼女の笑顔に励まされ、私は勇気を持って一歩前進できたこともあった。
 Y子さんと過ごしたかけがえのない時間。たとえ、もう会えなくても、Y子さんはこれからも私の心のなかで笑顔のシャワーを降り注いでくれるだろう。さようならは言わないよ。




のほほんと過ごしています。
平成22年5月3日

 5月1日、実質連休の初日、こうすけが小さなてんかん発作を起こし、緊迫モードでした。仕事を休めない私のために、休日まで我慢していたんだと思うと、親孝行の息子がいとおしくなりました。でも、本当の理由は前日夕食後に飲むはずだった抗てんかん薬を主人が飲ませ忘れていたことがわかりました。かかりつけ医に電話をし、発作を抑える座薬を入れてよいか、問い合わせ、処置。発作はおさまりました。薬を飲ませ忘れたことで少々逆切れしていた主人は「なぜ、俺を責めないんだ」といいましたが、主人と子どもを置いて、友人3人と出かけていた後ろめたさがあり、とても責める気にはなれませんでした。こうすけもたいしたことなかったし、これからは服薬の確認に気をつけていこうと思いました。そんな、幕開けの連休。緊張の糸が切れ、超スローペースで家事をしています。部屋の片付け、掃除、家の周りの草抜き気合を入れてやりたいところですが、てきぱきできず、のったらのったらやっています。
 それとは別に連休中にやりたかったのが、新しいパンのメニューに挑戦することと、クレープを作ることでした。パンの味はまあまあよかったのですが、見た目がいまいちで、まだ人前には出せません。精進!精進!クレープはアイスクリームを包んで食べたり、ウインナーとわさび菜を包んで食べてみました。結構いけていました。明日は、友人と出かける予定。こうすけは主人とお留守番です。




TOP
過去の日記はこちら
過去の日記はこちら